労働力というか人の手が足りなくなる

 

多くの人が指摘している、日本の将来の労働力的、金銭的リソース不足について解りやすい解説を書きたいと思ってましたが、なかなか手を付けられないので、思っていることを忘備録的に書かせていただきます。

 

<労働力的リソース不足>

◆生産年齢人口と老年従属人口の割合>

2010年 → 36.1%(労働者2.8人で1人を扶養)

生産年齢人口 8,173万人 65歳以上 2,948万人

2022年 → 50.2%(労働者2人で1人を扶養)7,240万人

生産年齢人口 7,240万人→ 65歳以上 3,635万人

※75歳以上は1,419万人(11.1%)→ 1,962万人(16%)

出典:国立社会保障・人口問題研究所

 

<年金支給年齢の上昇、女性の労働参加での影響>

60代の方や専業主婦等が賄っていることとしては

①高齢者の介護

②育児及びその手伝い

③家事

④近所付き合い等

 

<現時点で確実視されている問題点>

・生産年齢人口が減れば、1人の労働生産性が同じと仮定すれば、間違いなく

 日本経済はさらに減速して、税収も減る

・女性の社会参加により、主に現在女性に支えられている介護、育児、家事等を誰か

 が支えなくてはいけなくなる

・年金支給年齢は、団塊ジュニアの支給年齢が近づくころには、70才以上の支給にな

 ることはほぼ確実と思われることから、リタイヤ後や退職金をもらって早期退職

 をして介護や育児の手伝いを支えている層も激減する

・経済力・内需が弱くなれば国力が低下し日本の信用力が低下

・円安、国債金利上昇、株式市場からの海外マネーの流出

・食糧・エネルギーを輸入に頼っている日本はマネーを流出せざるを得ない

・購入層の激減や所得低下による不動産価格の下落による国内資産の減少

 

<今後どうなると予想されるか>

・企業は海外での利益を享受出来るところ以外は厳しい(グローバル企業のみ)

・グローバル企業に勤務する人と、その人たちが住む東京通勤圏(現在より狭いエリ
 ア)のみが現在の状況を維持でき、首都圏郊外が地方都市に近い状況になる

・国内に回るマネーが少なくなれば、現在大きな影響を受けていない内需産業も

 最終的には淘汰されるか、大規模リストラか給与カットは必要

 (所得低下というかグローバル企業以外は超低収入)

・介護の人的リソースは、現在でも不足状態であり東京オリンピックを待たずに大き

 な社会問題化することは必然

・介護問題は、消費や世の中全体にも影響を及ぼす

 → 将来不安による消費減少

 → 放置しざるを得ない貧困高齢者が目につくようになれば、精神的に退廃してゆ

   くと思われ、治安やモラルも悪化する。

・能力のある人材は、お金が稼げず税収が重く、将来性が無い日本から脱出。

・国力が低下してからでは、外国人労働者も呼べない

・所得の二極化とお金の無い高齢者の貧困

・国内消費の大幅縮小により、金融資産を持つ高齢者にしがみついて生きてゆく層が

 増えてゆく → 社会構造的にも家族内でも

・急激なインフレが起こってしまうと、高齢者の金融資産も泡となり、どうにもなら

 なくなる

・お金を価値観として生きる人と、社会問題が噴出する中でそれを解決しようとする

 価値観を持つ人が現れ、それが所得二極化に拍車をかける

・社会問題を解決しようとする層は、エリアごとにまとまり組織化してそのエリアの

 「新しい価値」を定義し直す。

・世界中で「新しい価値」が生まれて提携する

 (国の力は弱まり、地域社会と同じ価値観を持つ世界の人々がつながる)

・価値観の多様化、財源の無さや経済状態から、政治はほとんど機能しなくなる

 

以上のことを時間があるときにまとめてみたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

年功序列について

本日の日経新聞社説に「グローバル化が崩す年功序列制」という記事が書かれました。

日立製作所が先日、国内の管理職約1万1千人について年功要素を無くす決定をしたことを受けての内容です。

 

さて、この年功序列の改革は良質な人材をグローバル化の中で確保するために語られがちですが、もう一つ重要な要素があります。

それは、日本の年功序列社会は、その企業文化に長くいてその文化が当たり前だと思う人が順番に昇進してゆきますが、それは「安定」をもたらす代わりに「変化しない」という選択肢を実際は選んでいることです。

日本の企業は、外部から頻繁に幹部を呼んで仕事を任せるということをしません。

それは、村社会ルールを知らない人を幹部に入れると、社内の既得権者の地位を脅かすからです。

 

日本の企業は、高度成長期に人口ボーナスによる恩恵を受けて急成長しました。

その中で重視されたのは、組織としての統制力で上から下への一方通行の力でした。

進む方向が決まっていれば非常に効率的なシステムです。

但し、今の世界はどのようになっているのでしょうか。

 

現在世界は非常に速い速度で変化しつつあり、若い人でも新しい技術の進化へ興味を持つ人と持たない人に二極化しているように見えます。

中年以上の人は尚更、新しい技術や変化についてゆくことは困難でしょう。

現在IT技術は一つの産業であることを超えて、世界全体を変えてゆく技術になりつつあり、IT産業という言葉は無くなって全ての産業でIT革命が起こると言われています。

 

このように変化が速い世界で求められる企業とはどのような企業でしょうか。

それは、当たり前ですが変化できる企業になることです。

会社幹部の流動性を持たせるために、外部から幹部へ優秀な人を登用し任せることが必要です。

しかし、オリンパスの不祥事問題のように、せっかく外部から人を呼んでも、村社会の独自ルールで縛り付けてしまえば、全く変わることは無いでしょう。

 

高度成長期に人材確保のために年功序列・終身雇用の流れが出来、東京オリンピックから50年になる現在は、会社に在籍するほとんどの人は、それが当たり前になっています。

しかし、変化してゆくには、ありきたりの意見ですが多様性とチャレンジが必要です。現在の「会社の幹部同士の足の引っ張り合い」と「自分たちの村社会の維持」を中心とする会社運営をしていては、外からいくら幹部を呼んでも、社外取締役を呼んでも変わりません。

 

未だに「村社会のルール」で評価している場合ではありません。人材だけグローバル人材を取ろうとしても業務を任せる範囲と目標を明確化して、実際の実績で評価するという、「当たり前のこと」をしっかり変えて行かなくてはいけません。

いくら社長のお気に入りだとか、幹部みんながあいつは社長候補だとか言っても、

毅然として実績で評価する勇気が必要です。

しかしそれは、おそらく会社の幹部の自己否定になるので出来ないでしょう。

 

そうしたら日本はこのまま衰退してゆくのでしょうか。

余程自浄能力のある企業や、自動車産業など日本人と相性が良い産業以外は、厳しくなって行くでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スコットランド独立の住民投票で思う

 

スコットランド独立の住民投票は反対派の勝利に終わり、現在は約束した自治権拡大の議論に入ろうとしています。

 

日本人の感覚からいうと、現在のヨーロッパの他の地域でも今後起こると言われている独立運動というのは理解しにくいですが、歴史的な経緯などの説明を聞いて初めて「なるほど」と納得します。

 

ある程度自然の成り行きで国家の枠組みが出来ているヨーロッパでさえ、このようなことが起こっているのですから、欧米の主導により国境が引かれたエリアが多い、中東やアフリカで揉め事が多いのは、必然と言うことなのでしょうか。

 

日本は、島国でほぼ単一民族ということで、このようなことには当面ならないと思いますが、高所得者ー低所得者、高齢者ー若年者、東京圏ー地方などの利害の調整を巡り、そろそろ混乱が始まるのではないでしょうか。

 

グローバル化とIT化により、現在は国境線の意味は非常に薄れてきており、いままでの国家間の経済的な勝ち負けが、世界規模での所得二極化になってきています。

現在アメリカの所得二極化をはじめ、経済発展が著しい中国やインドなども二極化が進んでいるようです。

 

日本で言うと、東京圏に高所得者が集中し、地方の若い人は地元で食べられないので、東京圏に集まることになり、国の税収が落ち地方の頼みの綱である公共事業も減ってくれば、東京の富裕層とそれに依存する低所得者層、取り残された地方、という構図になってきます。

これから東京オリンピックもあり、これから5年間でさらに予想より一極集中が進むのでしょう。

国も経済圏を分散させようとする意志があるなら、一度やった東京でのオリンピック招致をすることに異を唱えたはずです。

おそらく、国家権力を司る人の中では地方はすでに切り捨てられていて、東京一極集中は既定路線なのでしょう。

 

人口がある程度東京圏に集中した時点で、地方が持つ意見は無視され始めるでしょう。選挙権を持つ人数も減りますし、年齢層も高いので、これから新しい政治勢力を生み出す力も無いでしょう。

 

スコットランドのように、明確に歴史的な区分けがあれば、今回のように「イングランドスコットランド」ということである程度まとまり利害調整もされるのでしょうが、日本の地方がまとまることはおそらくありません。

高齢のお山の大将が我を張り合って何も進まずに終わり、と言うことになると思います。

自治体に個別に支給されても1988年の「ふるさと創生1億円事業」のように、無駄なことしか自治体には出来ない、と政府には多分思われています。(新しいアイデアなどでは意見集約が出来ない。)

 

日本と英国はどちらが良いのでしょうか。

 

輸入に頼っている、食料とエネルギーを地方で競争力のあるものを作り出せればよいのですが、食料は農地が分散していて放棄地が多いと難しいでしょう。

これ以上他のアジアの経済力が上がってきて、日本の国力が下がってきたら安定供給されるのか心配です。

 

 

 

 

 

 

「データの見えざる手」を読みました

 

日立製作所 中央研究所の矢野和夫さん著の「データの見えざる手」を読みました。

全体的に非常に興味深い本ですが、第2章の「ハピネスを測る」の部分について

触れてみようと思います。

 

まずは、興味深い引用から始まります。

この10年間で、人間のハピネスに関する研究が急速に進歩しているそうで、

カリフォルニア大学のソニア・リュボミルスキ教授の著書「ハピネスの方法」に書いてある、インタビューやアンケート、一卵性双生児に対する地道な研究によりわかったことが、

 

幸せは50%は遺伝的に決まっていることが明らかになった。

うまれつき幸せになりやすい人と、なりにくい人がいるということである。

中略

この環境要因に含まれるものは広い。人間関係(職場、家庭、恋人他)、お金(現金だけでなく家や持ち物などの幅広い資産を含む広義なもの)、健康(病気の有無、障害の有無)がすべて含まれる。驚くべきことに、これら環境要因をすべて合わせても、幸せに対する影響は、全体の10%にすぎないのだ。

 

著者は、これを知ったとき大きな衝撃を受けたということであるが、これは

世界中の人がびっくりするでしょう。

私もこれを知れただけで、この本を買って良かったと思ったくらいです。

 

それでは、残りの40%は何だろう。それは、日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方によるというのだ。特に、自分から積極的に行動を起こしたかどうかが重要なのだ。自ら意図を持って何かを行うことで、人は幸福感を得る。

 

シカゴの空港で買ったこの本を読んで、リュボミルスキ教授とコンタクトをとり、

人間の計測と定量データ解析を専門とする著者と、幸福の心理学を専門とする

リュボミルスキ教授とのユニークなコラボレーションが始まったとのことです。

 

そして、開発された名札型のウエアブルセンサでの計測が始まる。

コールセンターでの実験で、受注率は出勤しているオペレータのスキルではなく、

(メンバーは日々入れ変わるので、当初は出勤者のスキルで受注額が変動すると予想されていた)また、性格的な向き不向きでもなく、休憩室の会話の「活発度」と相関関係があったとのことである。

 

以上の結果を総合すると、大量のデータが示すシンプルな結論が浮かび上がる。それは人の身体運動が、まわりの人の身体運動を誘導し、この連鎖により、集団的な身体の動きが生まれる。これにより、積極的な行動のスイッチがオンになり、その結果、社員のハピネスが向上する、と言うことだ。

 

話の合う人と休み時間を楽しく会話でき、身体運動の連鎖が活発に起こると、

その後の業務の生産性が高まることが実験で確認されているそうである。

 

この本を読んで、今の社会はどちらかと言うと生産性を高めるためにこの実験と逆側に向かっているのではないか、と感じました。

また、日本企業の生産性が悪いことが良く取り上げられるが、日本社会では黙々と

長時間仕事をすることが評価されがちである。

また、休みは取らないほど偉いという風潮もある。

 

そして、この内容を読んで一番思ったのは、未だに残る日本企業の命令した通りに

「ハイ」と命令されたことをただやることが評価されるという風潮である。

この実験でわかったように、積極的になって各々やる気が連鎖して成績もあがるということは、会社にとって非常に有意義なことであるが、自己の権力欲を満たしたい

一部の管理職には、「楽しそうでけしからん」とか、「自主的にやっても駄目だ、オレ様の言う通りにやれば良いのだ」ということを思うのではないか。

 

管理者が会社に貢献するためにどのようにすれば良いのか考えさせられる本でした。

 

ベルリン旅行の写真 追加

 

f:id:moksokg:20140811231444j:plain

 

f:id:moksokg:20140811210009j:plain

 

プラハで考えたこと

 

ドイツのベルリン、チェコプラハを先週3日づつ観光したのですが、ベルリンで色々考えるところがありまして記載が多くなっていますが、純粋な観光地としてはプラハの方が上です。

 

私は、何があるか解らない海外の街歩きが好きなので、今までアジアの大きな街を好んでいましたが、今回は建築物への興味からプラハをぜひ歩いてみたいと思い訪問しました。

 

街の中心を流れるモルダウ川、それにかかるカレル橋、どこを歩いても興味深い建物がある街中など飽きずに歩けますし、少し歩くことに飽きたら旧市街広場やカレル橋では楽器を演奏しているし人、歌っている人、何か面白いことをやっている人がいて見ていて飽きません。

 

また、ケーブルカーで登って行く見晴らし台からの景色とその周りゆったりとした公園、ヴィシェフラット民族墓地周りの公園の静かな雰囲気と360度見晴らせる景色など、高台から見ても見ごたえがあります。

モルダウ川の遊覧船でビールを飲みながら風に吹かれて見る景色も最高でした。

 

観光地としては申し分なく、逆に全く考えずに楽しめたという意味では、ベルリンより本当の観光をした気がします。

そして、夜も21:00ごろまで明るく、そのあとも主な建物すべてがライトアップされるので22:00ごろまで遊べます。(このくらいの時間まで子供連れの人も出歩いています。)

気候はベルリンでもそうでしたが、寒くも無く汗もかかずに丁度良い気温で、プラハで朝と夜若干肌寒いと感じることもありましたが、長袖を1枚着れば十分な程度です。(実際昼間でも薄手の長袖を着ている人は多かったです。)

 

楽しむことに集中してあまり考えなかったのですが感じたことを書くと

 

①中国人観光客が多かったこと

 景気が減速していますが、日本の10倍の人口パワーがあり今後は観光でも日本より

 存在感を高めて行くと思われます。

②公園を中心とした街づくりの良さ

 旧市街広場というところが観光地の中心でしたが、歩き疲れたら石畳に座って歌を

 聴いていたり出来て良いですね。

 ベルリンにも公園が市街地の中にありますし、ヨーロッパの街づくりがそういうも

 のなのでしょうか。緑も多いですし建物の間隔にもゆとりがあります。

 それが建築や都市計画の行政による規制なのか興味はあります。

③古い各年代の建物があり現代建築もある

 古いものがあると新しい奇抜な建物は受け入れられないのかと思ったら、

 ダンシングビルという変わった建物も建っています。

 (反対はあったみたいですが)

④少し残念なところは、観光地内でも喫煙をしてポイ捨てをしている人も多かった

 こと(おそらくチェコ人)、英語をしゃべれない人が思ったより多いことです。

 ベルリンの壁崩壊の1989年までチェコ社会主義国であったのでしょうがないです

 かね。今回は旧共産圏の国を見たいというのもありました。

 

以上がチェコに行ってみての感想でしたが、夏の観光地として誰にでもお勧めできることは間違いありません。

 

 

f:id:moksokg:20140813231627j:plain

f:id:moksokg:20140813221226j:plain

f:id:moksokg:20140814042100j:plain

ベルリンで考えたこと

 

さて、先週のベルリンとプラハ旅行から帰って1週間、忘れないうちにベルリンで考えたことを書いてみようと思います。

 

ます、一番最初ドイツという国に興味を持ったのが、卒業旅行で南米を1か月回っていた時に、ペルー側のアマゾンの玄関口のイキトスのツアー会社で「とにかく奥地に行きたい」と言ったら、そんなところに行きたがるのは、日本人とドイツ人だけだと言われ、「ドイツ人は日本人と近い部分があるのだろうか?」と思ったことがドイツに興味を持った一番の原因かと思います。

 

また、旅費が高いこともあり、今までヨーロッパには行ったことは無かったのですが、昨年インドに2回行って、その反動か今回はヨーロッパにどうしても行きたくなりました。(インド以上に刺激があるアジアの国が思いつかなかった。)

 

さて、短い滞在期間でベルリンで思ったことは、「ドイツ人は真面目と言われるけど、日本人と比べると大分アバウトである」と言うことです。

 

道路工事では道路を歩道ごと止めてあり、どうまわって先に行ったら良いか解らない、線路工事も日本では深夜や休日の1日くらい止めますが、ドイツは何日も平気で止める(夏休み期間だからか?)、電車類は改札は無く出入り自由で近距離でしたらタダで大分乗れるし距離での料金の違いが無い、など案外いい加減です。

一方、ペルガモン博物館の入館待ちや、テレビ塔のエレベーターの順番待ちの時間は

しっかり管理していました。

 

自分には、当然日本式の方がなじみがありますが、そこで感じたのが「日本人は全てのことを完璧にやろうとし過ぎているのかも」と言うことです。

日本人は、労働時間当たりの生産性が低い、夏季休暇が圧倒的に短い、などと言われていますが、「やった方が良いことは良いけど、効果としてはかけた時間と見合う効果は上がらないでしょ」ということが多いと思います。

 

おそらく、観光業などの業種については、特にこれから力を入れて行こうとする産業で、評判も大事ですから、しっかり「おもてなし」した方が良いのでしょうが、もう少し手抜きしても良い業種も多いのかも知れません。

 

あと博物館等を回って思ったのが、おそらく国内やヨーロッパ各国の人が多いのだと思いますが、「説明文を非常に良く読んでいる」と言うことです。

これは、よく観察して思ったという訳では無く、違和感として感じたので日本との差が大きいように思います。

これは良い悪いでは無くて、文化の差なのだと思います。

 

だからどうしたの、と言われると困るのですが「元々難しいことを読ん考えることを訓練されており、それを楽しんでいる」ということなのではないでしょうか。

 

あとは、中心街のビルの上からのバンジージャンプがあったり、公園や街路樹が多かったり、住宅や建物が密集しすぎていなかったり、街中で面白いオブジェを多く見かけたりして、「遊び」「ゆとり」「やすらぎ」「皆が集まる場所」ということを

感じました。

 

東京とベルリンは同じ首都でも役割的にも大きく違うので、単純に比較してもしょうがないですが、忘れないうちに感じたことを書いておきます。

 

f:id:moksokg:20140811234635j:plain

 

f:id:moksokg:20140810153236j:plain

 

f:id:moksokg:20140810221015j:plain

 

 

 

プラハ二日目

今日は定番観光地等をじっくり廻りました。

ヨーロッパ中から観光客が来ていますが、非ヨーロッパで一番多いのは圧倒的に中国人です。

日本人もまずまず見かけますが、お盆休みだと言うことを考えれば、中国人の存在感は圧倒的ですね。

そして、中国人のおばさんたちば非常にパワフルです。
路上で演奏をしている人達に、多くの人が見ているなか横に並んで写真を撮っていたり、若いヨーロッパ人のイケメン観光客に写真を撮らせてくれと言って撮っていたのはビックリしました。

人口が一桁日本と違いますが、まだまだ負けていないと思っている方も多いと思いますが、GDPではこの前抜かれたばかりと思っていたら、2013年には日本とドイツの3位4位合計でも抜かれてしまいました。
ものすごい破壊力ですね。

プラハは、ザ・観光地という感じで来ても期待はずれだと思う人は少ないでしょう。
街並みと色々な建築様式の古い建物は他では見れない物ですし、治安が心配な国ではもて余し勝ちの夜の時間も旧市街広場では屋台もパフォーマンスも遅い時間までやっており、建物のライトアップもしています。
物価も安いですしね。
大きな川沿いにあるのも和みます。
ベルリンも中心地に川が有りましたが、水が好きな私はほっとします。

さて、残りも一日です。

f:id:moksokg:20140814041100j:plain

f:id:moksokg:20140813231123j:plain