解雇規制の緩和は日本を救う?

  

解雇規制の緩和は今の日本に一番必要なものです。

その効果は広範囲にわたり、国もおそらく十分認識しています。

 

 

 ①雇用リスクの軽減による雇用増加

 ②介護問題への好影響

 ③少子化問題への好影響

 ④コーポレートガバナンスの向上

 ⑤企業の生産性の向上

 ⑥女性や新卒採用から漏れた優秀な人の雇用の促進

 ⑦転職が容易になれば、試行錯誤により適材適所が進む

 ⑧同一労働同一賃金の浸透による非正規雇用社員の給与アップ

 

 

就職する側にとって、新卒一括採用と終身雇用制度の一番の問題点は、一度選ぶのを失敗したら再度チャレンジするのに、大幅な給与ダウンや条件の悪化を受け入れなければならない場合が多いことです。

また、前向きな理由で行った卒業後の海外留学等が、新卒枠に入らないことで能力がアップしているのにかかわらずマイナスになったり、会社の倒産等の不可避なことが大きなマイナスになってしまうことです。

 

企業側での問題点は、評価や人事権をもった会社の支配層が、社員が転職しにくく出来ても大幅に条件が悪くなるので、それを利用して権力を不自然なほど持ちすぎる状況になり、労働条件の改善、休日の取得、生産性を貶める業務の強要、個人的権力欲を満たすための業務の強要、コーポレートガバナンスの無視等が、容易に出来る状況になってしまうことです。

そして、これが介護や育児についても、新卒一括採用で転職があまり出来ない企業が多いと、企業側は新卒が好む条件をそろえておけば良く、子供が生まれた時や介護が生じた時のために好条件を提示しないで済むことになります。

 

それでは手放しにすぐに導入したら良いかと言うと違って、同時に解雇されて所得が落ちた時に一番の問題となる、教育費と住宅ローンに関するバックアップの政策を同時に行うことが必要です。

教育費については、国立大学無料化、一定の学力がある人に対しての奨学金の充実。

住宅ローンについては、返済期間の延長による負担軽減を延びた分の返済を国が保証等を行うこと等です。

教育費については、企業等が入学時の能力のみを重視する現在の学校名での評価は、合理的に考えれば、センター試験の点数での評価をすれば十分で、講義はオンライン等を組み合わせた超低額大学に置き換えても、中級以下の大学のレベルで在れば学生の質は変わらないので、こちらも規制緩和で進めてもらいたいものです。

そもそも一部の一流の研究者を生み出す大学以外は、支払うお金に見合う価値は学生に提供していないというのは明らかだと思います。

 

企業において具体的にはどう変わって行くのでしょうか?

 

・優秀な人材を常に集めるために、多様な働き方が出来る魅力のある条件

 が企業から提示される(子育て・介護等への対応)

・有給消化の促進や休日の増加

 好条件を提示して中途採用をし続ける必要があれば休日も増加。

・評価基準の明確化 

 人の入れ替わりが激しくなれば避けられません、好き嫌いでの評価は

 人材の流出やモチベーションの低下を招く

村社会の身分制による無理難題の押し付けが出来なくなる

 → コーポレートガバナンスの向上

 → 生産性の向上

   ※上司の満足のために存在する非合理的な業務が無くなる

・社会全体の適材適所の促進による生産性や満足感の向上

・埋もれた人材の発掘(特に就職が厳しかった団塊ジュニア

・新卒正社員を既得権とした業務や能力を無視した給与形態が崩れ

 同一労働同一賃金が進む

・介護や子育てで一時的に数年退職しても、一定の能力があれば職が

 得られるようになる。逆に新卒正社員で在っても能力が無ければ解雇に

 なり自分に向いている仕事に移らなければならない。

 

 

挙げればきりがありませんが、戦争を知っている世代がゼロから日本を必至に引っ張っていた時代はバブル崩壊と共に終わり、これからの日本は個人の満足を求める時代に合った働き方に変えてゆく必要があります。

しかし、新卒一括採用での終身雇用制度は、東芝オリンパスの例を見ても解るように企業の経営者や幹部のチェック機能が働かず、適切な変化が行われず様々な問題点を抱えています。

また、時代の変化が早く、会社の方向転換が多く求められる現在のグローバル化とITの発達により、あと数年しか会社に居ないご老人が会社経営をすると、会社を無難に進めるために、方向転換をせずに手遅れになり気味です。

終身雇用を人質にした現在の制度を強制的に変えるのには、解雇規制の緩和が有効だと思うので、政治献金や得票の影響もあるとは思いますが、政治家の方々には積極的に進めて欲しいと思っています。

 

話は変わりますが、日本の企業を良くして行くには、社員の選挙で選ばれた平社員代表の取締役会の参加と一定の議決権の付与、重要情報の開示も必要だと思っています。

国政選挙もそうですが、会社も世代間の利害が乖離しているので、世代によって一定の力を持つ必要がありますし、コーポレートガバナンスのアップも、結局は役員に選ばれるのがご老人方なのでみんな逃げ切ろうとしているのであって、若い人が知れば将来を考えて早めに処理しますよね。

 

ミュンヘンでの写真

 

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ドイツ④ ドイツと移民とイラン

ドイツの移民問題への対応は非常に模範とすべきことだと思いますが、国家と言うのは国に利益をもたらす装置でもあります。

一般的に言われているように、少子高齢化と経済好調を理由にドイツまで自力で来るある程度の質を伴う労働力が欲しいと言うことももちろんあると思いますが、効果を得るまでの痛みもドイツは十分に知り尽くしているはずです。

世論の後押しはあるとはいえ、人道主義と労働力が欲しいということだけで移民を受け入れているのでしょうか?

 

難民問題の進捗が急速過ぎて不自然だと前回書きましたが、その裏側にはイランとの核協議が関係してくるのではないでしょうか。

 

2015年7月14日に安保常任理事国5か国とドイツは、イランとの核開発をめぐる協議に合意しました。今後は徐々に制裁を解除されて、埋蔵量世界4位の石油資源と中東一で世界18位の7,800万人の市場が開放されることになります。

イランは、紀元前550年に成立したと言われるペルシャ帝国の末裔で、アラブ世界と見られがちですがペルシャ語を話し、非常に文化的な民族であると言われています。

 

その核問題合意後のイランに、一番乗りで出向いたのはドイツのガブリエル経済・エネルギー相兼副首相とダイムラーフォルクスワーゲンシーメンスなどのドイツ企業幹部総勢60名です。

ドイツはもともと制裁前は、西側では一番の貿易相手国でイランとのつながりは深い国です。

 

そして、国際世論から非難されているシリアのアサド政権をイランは支援しています。

 

シリア難民が増えた今月に入ってから、難民のドイツへの移動に協力的なオーストリア外相がイランを訪問しアサド政権を取り込むべきだと述べており、スペインの外相が民間企業40社の代表と共にイランを訪問しアサド政権と交渉すべきだと述べたと伝えられています。そして、アサド政権の一番の支援者とされるロシアが9日にシリアで戦闘に加わったということです。また、このタイミングでアメリカ議会もイラン核合意を問題なく手続きを勧められる運びとなり、イギリスの外相もアサド政権に対して態度を軟化させている発言をしているようです。

 

イランと仲良くなりたい各国は、今までと違いアサド政権を少なくても当初のように敵対しない、と言う流れが規定路線になりつつあるように見えます。

 

それで、イランからアサド政権継続の障害になる知識人層の受け入れを求められ、ドイツが受け入れやすい能力や資産がある人が、シリア国内から脱出できるような段取りを取り易くしているということではないでしょうか。注目すべきは今移動している人はテレビなどで見て解るように難民キャンプに逃れた人や貧しい人ではありません。それなりにお金がある人が「急にまとまって動き出した」のです。

そう考えれば、イランとの取引拡大が見込めるドイツが1月から6月で21万人だった難民を年間80万人受け入れと拡大することをわざわざ発表したことも理解できます。

逆にメリットが少ないと思われる中・東欧が協力的でないのも世論の反応もありますが、イランとの貿易などでのメリットが無いからと見ることも出来ます。

 

自分でも少し「こじつけ」だと思っているので、空想話しとして読み流してください。但しイラン核協議の合意はタイミングがタイミングなので何かしら関連しているような気もします。また、シリア周辺国や国際援助機関が支えきれなくなったという人も多いですが、そしたらもっと堂々と主張すると思いますし、前回書いたようにここまでの急変は無いでしょう。ロシアのシリア攻撃参加も関連している可能性もありますが、それもイランの核協議の合意があってこそのことだと思います。一連の難民関係の状況の変化の本当の理由は解りませんが、今後もイランの動きは注目ですね。

 

今回は先月のドイツ旅行の中から、オーストリアチェコの国境に近い街パッサウの写真を載せておきます。

ドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)で生まれたドナウ川は奥に流れているイン側とここパッサウで合流し、オーストリアスロバキアハンガリーなどを通りルーマニアから黒海に注いでいます。

 

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ドイツ③ 移民急増で思ったこと

前回ドイツの移民について書きましたが、その後の展開は驚くほど速く進んでいます。

  

 

1、8月8日~15日 ミュンヘン周辺滞在中→ この時点でもかなりの移民

 

 

2、8月19日 ドイツ政府が1~6月で21万人だった移民が、年間80万人に

  なりそうだと発表

 

3、9月3日頃 海で亡くなった子供の写真が拡散、前後に移民が急増

 

 

非常に短期間で急展開していますが、今回の状況で何点か疑問があります。まずは、発表当初から疑問だったのですが、半年で21万人であった難民受け入れが下半期で4倍になると発表しているのは急増するのが解っていたということだと思いますが、その理由が詳しく説明されていないことが一つ、次が8月15日にミュンヘンを発ったのですが、ミュンヘン中央駅では住み慣れた移民らしき人はたくさん見かけましたが、難民がまとめて到着している様子はありませんでした。(電車の乗り降りと売店の利用で駅は頻繁に利用していました。)大勢の人が電車に乗り込んでいる写真が報じられているザルツブルク駅も同様です。おそらく急激に増えたということです。 

これは、何らかの事情で難民が急増するのが解っていて、予告的な意味でこれから難民が急増するという発表を行い、それを合図に一気にトルコなどにいた難民が流入したのだと思います。(逆に移民の受入数が激増することをニュースで見て、ドイツなら受け入れてもらえそうだと思って殺到したということもあり得ますが、それにしては早すぎます。)

 

何らかの政治的な事情があったことは間違いないと思われますが、あまり表に出せることでは無いから報道されていないのでしょう。

 

インターネット上では、「難民はかわいそう」、「ドイツは偉い日本も難民を受け入れた方が良い」とか「EUで経済的に一人勝ちなので当然」など色々反応がありますが、移民が増える前でも結構インパクトがあった状況なので、自分は「ドイツの人たちは本当に大丈夫なのか」ということがまず頭に浮かびます。

 

もちろん、内戦で故郷を出て行かなくてはいけないことは大変なことだと思いますが、自分が見た移民の人たちは、多くの人がイメージするように食べ物にも苦労するという人たちではありません。

全くお金を持っていないドイツまで来れない人達は、今でも難民キャンプで生活しているのでしょう。昨年の冬にシリア人の難民キャンプで資金不足により食料が無くなると報道しているのを見かけ何回か寄付をしましたが、今回の難民問題より深刻だったと思いますが日本ではあまり話題になりませんでした。

 

今回のことで思うのは、同じ少子高齢化社会であるドイツのチャレンジ精神です。

国は国として、少子高齢化対策、経済にプラスに働くかどうか、その他国際政治的な何らかの思惑もあるのでしょうが、対応するのは一人ひとりの国民です。トルコ人の移民問題の時も東ドイツの時もドイツは苦労した過去がありながら今回難民を受け入れています。また、ドイツは原発ゼロなどの新しいことにチャレンジもしています。日本のようにいつまでも「失われた10年」「失われた20年」みたいな後ろ向きな思考で、この二十数年ひたすらバブル崩壊前に戻ろうとあがいているのと対照的です。

 

自分なりにこの状況で日本がどうすれば良いかの意見を言わせていただければ、まず難民受け入れ国への資金援助とドイツへの専門家の派遣を公式に発表して行い、良い点悪い点を徹底的に調べて公表することです。

自分は手放しで難民受け入れをして欲しいとは思いません。しかし、チャレンジまで行かなくても、チャレンジの足慣らしで受け入れ国の現状認識をして国民に伝えて欲しいと思っています。

偉そうに言わせていただくと、日本人の反応はいつも情緒的な反応で、原発でも安保でも自分には、「賛成反対を強く主張する人」と「それを見て一歩引いてしまう人」という二分化してどの問題も議論が進まないような気がします。

 

労働人口の減少は間違いなく日本の国力を弱くしています。それに備えた一つの選択肢として移民の受け入れというものをまずは成功した国に学んで、その後にしっかり地に足を付けた判断をしたいものです。(今手を挙げている国は経験者ばかりですから、同じように瞬時に判断は出来ないと思います。)

 

 

 

 

 

 

 

 

ドイツ② ドイツの移民について

 

先日、ドイツ政府は今年流入する難民の数が昨年の4倍の80万人に達するとの見通しを出しました。

EU域内に入る難民のうちおよそ四割がドイツを目指す状況で、1月~6月の半年で昨年の約20万人を超える約21万人が入国し今後は更に増えそうだとのことです。

 

1週間前までドイツのミュンヘン中央駅近くのホテルに5泊(その他に2泊)していて、駅の売店を利用したり、電車に乗ったりするために日に2回程度駅に行きましたが、駅前の雑踏の中で周りを見渡すと白人の方が見当たらないということが何回もありました。

また、駅構内や近くの路上で、ビールのビンが割られていたりしていることも何回か見かけました。(直ぐに清掃の人が来ていましたが。)

自分自身、一昨年はインドに二回行ったり、今までアジアやエジプト、南米などを旅行して来て、混とんとしている雰囲気の方が好きなのですが、それでも駅前の雰囲気は最初はあまり良い感じがしなかったです。(直ぐに慣れましたが。)

 

1週間いた中で、気になって色々見ていたのですが、観光地に行ってもイスラム教の衣装を着た女性や、アラビア語が表示されているスマートフォンを見てワイワイ騒いでいる若者を見かけ、駅前で不自由な体の方にお金を恵んでいるイスラム教徒の女性もいました。

当然、しっかした仕事に就いている人も、紛争地域からお金を持ち出して来ている人もいて、そのような人は普通の生活をしているのでしょう。但し、数としては日本でも報道されているように、身一つで移民船でイタリアやギリシャなどへ渡ってきてドイツに入国している人の方が多いのだと思います。

 

地理的にも国の政策的にも日本とはあまり縁が無い話しのように見えますが、これだけ世界が関係しあっている状況で全く影響がないとは言えず、平和が好きな日本としては、国際的に何らかのメリットが得られる形で、支援などの関与をして欲しいところです。

 

本当は、人手不足なので来てもらえれば良いのでしょうが、先方も地理的に解らない日本よりは直ぐに帰れるヨーロッパの方が良いでしょうし、今日のニュースで、日本で難民の認定を求めた裁判で勝訴したスリランカ人の方が、法務省に認められなかったとして、処分の取り消しを求める裁判を起こしたと報じられていました。このタイミングでそのようなことを聞くと、日本は難民を受け入れないと世界にアピールしているようにも見えます。

 

実際に難民受け入れ地域に住んでいる人が一番心配なのが治安でしょうが、昨日はドイツの隣ベルギーアムステルダム発パリ行の列車内でモロッコ国籍の人が武装して乗客を襲った事件が起きています。

抗議デモなどがあった話がたまにニュースで聞かれますが、数や規模はあまり大きいように見えないので、かなり我慢をいているのだと思います。

 

ドイツも過去に移民問題で苦労して、それを乗り越えて今の発展がある訳ですので、覚悟の上での移民対応なのでしょうが、何しろ数が多すぎるのでしょう。

しかし、一部の大学では難民が講義やドイツ語の講座を無料で受けられるようにしたり、色々前向きな政策も行っているようです。

 

難民の数は増え続け、今日も1日で約3,000人の難民がボートで救難信号を出し助けられたそうです。1日の数としては異例な数なようです。

それにつれて、移民を拒否する国や、隣国との国境から移民が自国に入らないように妨害している国もあるようです。

 

歴史を見れば、民族の大移動などは多くあったのでしょうが、第二次大戦後に、これだけ国境を人が越えて行くのは異例なことでしょう。

実際にこの問題の行く末は、素人ながら考えてみても短期でのあまり良い解決のシナリオは浮かびません。

在るとすれば、この混乱が武器の輸出や移動を禁止するような国際世論を作りだし、少なくても表ルートでの紛争地域への武器流入を断ち切ることが出来れば、難民の方々が自国で命が危ないという状況は改善するのかも知れません。

ただし、これも現実的では無いでしょう。

 

日本という当事者では無い国に住んでいる一介のサラリーマンが、EUの移民のことを考えてどうすることも出来ませんが、何かこれが世界の将来に大きく影響してくるような気がして、意識せざるを得ないようになっているので、ドイツびいきの自分としては、ドイツの移民について今後も注目して行こうと思います。

 

さて、一週間のドイツ旅行は当然非常に面白かったのですが、旅行記を書いてもつまらないので、ドイツ関連のブログの最後に写真だけ掲載します。

第一弾は、ケーニヒス湖です。

 

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ドイツ① 日本とドイツ ふたつの「戦後」  を読みました

NHK出身で、ドイツ ミュンヘン在住25年の熊谷徹さん著の 

『日本とドイツ ふたつの「戦後」』を読みました。

熊谷さんの本は、ドイツ社会やドイツ人の考え方を知りたい自分には最良の書で、5冊くらいは読んでいます。

 

最初に気になったところは、以下の部分でした。

つまり「集団の罪」という考え方を否定するドイツ人たちは、ナチスの時代に 市民1人1人がどう行動したかを基準にして、「個人の罪」を追求する。・・・・

 

個人主義が浸透している、戦後のドイツ社会らしい考え方である。彼らは「政権や上官の命令が常に倫理的であるという保証はない。個人が、命令の倫理について判断しなくてはならない。」と考えているのだ。

私が日本のある講演で、この原則について説明したときには、聴衆から「日本では受け入れにくい考え方だ」という意見が多く出された。・・・

 

むしろ日本では、「上官の命令だから、やむを得ずやった」という弁明に同情心を抱く人が多い。これが「A級戦犯など、罪をかぶって処刑台の露と消えた人々も、不当に加害者にさせられた被害者だ」という擁護論につながっていく。

 

戦後70年の今年、日本も戦争経験者で存命の方がいるうちに、一回国を挙げて戦争の総括をして見なくてはいけないと強く思わせられます。

また、最近の東芝の不適切会計の事件や、日本の大企業の組織の機能不全につながると思うのですが、日本企業では個々の人々の判断能力は問われないどころか、言われたことをそのままやった方が評価され、会社の上層部は自分がやっていることを他人に対して、個人として責任を持たなければいけないという意識に欠けているように見えます。

 

戦後問題については、次のように簡潔に述べています。

 日本では多くの人々が、過去の残虐行為についての謝罪など、過去との対決は他国のために行うと考えている。それは、間違いだ。・・・

 

過去との対決とは、他国のために行うものではなく、自分の国のために行うものである。ドイツ人たちが今も過去との対決を続けているのは、他国のためではない。ナチス時代に体験した破局の再発を防ぎ、自分の国の現在と未来を良くするために行っているのだ。  

 

当たり前と言えば当たり前ですが、国家は自国の利益のために奔走するものですし、ドイツもそうだということなのでしょうが、日本人が情緒的な部分を強調し過ぎて、国益にかなわないことをやっている可能性もあるので、個々の国民感情はそれぞれで良いでしょうが、政治家や官僚は冷静に、国益にかなうのはどのような対処方法が良いのか考えてみる必要があるということでしょう。

 

あと、会社組織の在り方で合理的だと思ったのは以下の部分です。

ドイツ企業で労働組合が持つ発言力は、日本よりはるかに大きい。この国には、「共同決定方式」という独特の制度がある。ドイツの株式会社など特定の企業には、取締役会のお目付け役であり、重要な意思決定機関である監査役会という組織がある。興味深いことに大手企業は、この監査役会に労働者の代表を参加させることを義務づけられている。従業員数が2000人を超える企業では、監査役会のメンバーの半分を、企業別組合である従業員協議会の代表が占めなくてはならない。(従業員数500~2000人の企業では3分の1)

つまりドイツの大手企業では、取締役会のお目付け役の機関に、労働者の代表が席を持ち、大規模なリストラなど企業の重要な決定事項について報告を受け、取締役の任免などについて決定権を持つ。労働者にここまで経営参加を許している制度は、世界でもほとんど例がない。 

 

日本の大企業の機能不全については、国が社外取締役を増やそうと推進しようとしていることから、誰もが知るところなのでしょうが、東芝の例で見る通り社外取締役は、あまり役に立っているようには見えません。

流動性が低い日本企業の取締役に対するチェック機能という意味では、社外取締役でも効果が無ければ、社員の代表自体が関与するのは合理的なようにも見えます。

労働組合が強すぎてドイツのように、公共交通機関のストが多いのも考え物ですが。

 

 他にも原子力発電関係の話も書いてありますが、著者の専門の別著があるのでここでは触れません。

 

さて、この本を読んで一番感じたのは「冷静で合理的な決断」ということです。 

日本は治安もよく住みやすい国ですが、それは高度成長の恩恵に支えられたものです。これからは、高齢化と介護、社会保障費の減少、国債発行額など問題も多く、見通しはあまり良いとは言えません。

今までが良かったからこそ、日本人は物事をあまりよく考えずに、「多くの人がやっているから」、「上司が命令したから」、「大企業がやることは間違いない」、「国に任しておけば良い」「個人では何も変えられない」などと思考停止をしているように見えます。

 

権力者が間違ったことを行った時に、それを抑止する仕組みや、何が良いかを皆で考えて議論するということが日本にも必要な時が来たのではないかと考えさせられました。

 

 

 

大阪都構想についての私見

 

さて、大阪都構想については多くの人が議論をしており、当事者でもない自分がブログに書くまでも無いと思いますが、そもそも自分の考えをまとめるためにこのブログは書いているので、あえて書いてみようと思います。

 

今回の一番の焦点は、既得権者と変化させようという勢力の対立でしょうか。

自民・民主・共産という主張が相容れない政党が共闘していることから、これが一番の論点だということが解ります。

当然、そこには大阪を良くするという発想ではなく、反対・賛成ありきで、それに理屈を後付けしているということです。

 

その他、今回の住民投票で注目されるのは、

地方自治体の意思決定の方法の今後

・公務員や議員の数についての議論

住民投票という手法が今後日本にどのような影響を与えるか

・議論したり何が良いかを徹底的に考えずに、雰囲気や人的つながりで投票する

 日本の有権者住民投票で変化するのか

・中央官庁や国会議員の権力や予算配分の支配下からの脱却の意思を表して、主体的

 な意志を地方自治体が示すことが出来るのか。

 

個人的には都構想に賛成です。

 

理由としては、高度成長期から時間が経ち、日本の組織は民間企業も含めて組織疲労を起こし、権力も持つ人間に都合の良いように捻じ曲げられています。

(元来人間はそういうものだと思いますが、減りゆく税金で既得権を守るためのことをやってもらっては困ります。)

民間企業であれば、自然に淘汰されるのでしょうが、議員・公務員はそうは行きません。これを機に組織の組み替えをして膿をだすことが必要だと考えます。

 

さらに、この結果によって意識が高く能力のある人材が、他の地域でも地方行政や地域を良くする活動に集まって可能性もあると思います。

 

話はそれますが、権力とお金を握っておいて、「地方はダメだ」と言っている中央の議員・役人にも考え直して欲しいものです。

権力とお金を握って、責任も自分で取る状況になって初めて、物事を変えることが出来るのだと思います。

 

大阪は橋下さんという、自分たちが力を発揮するために必要な人をせっかく得ることが出来たので、これがチャンスだと思います。

橋下さんが嫌いだったら、既得権の牙城だけボロボロに壊してもらって、それから落選させれば良いではないですか。

 

大げさなようですが、この住民投票が日本の地方自治体の今後を占うような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

「よく晴れた日にイランへ」を読みました

 

蔵前仁一さんの「よく晴れた日にイランで」を読みました。

蔵前さんと言えば「ゴーゴー・インド」という本で有名で、昔この本を読んでインドに行ってみたいとあこがれていたのを思い出します。

 

今回久しぶりに蔵前さんの本を読んだのは、観光用のヨーロッパからの直通列車が通るようになったと聞き、そろそろイランに行きたいと思っていたところ、ツイッターでたまたまフォローをしていた方が、この本に書いてある旅行中の蔵前さんのツイートをリツイートしていたのを見てフォローし始めたことがきっかけです。

 

2007年にイスタンブールを旅行してモスクが好きになり、色々なモスクを見てみたいと、インターネット上を探していたところ、イランのモスクの綺麗な画像を見つけ、

次はイランに行こうと思っていたところ、日本の大学生の誘拐事件があり、パキスタン側の現在も退避勧告が出ている危ないエリアに行かなければ大丈夫だと解っていても、少し時間を置いてみようと行かないでいました。

(あと、会社勤めであると、暑い夏か寒い冬にしか行きにくいので、躊躇していたと

 いうこともあります。)

 

去年の秋くらいから、核協議への後押しと思われるイランも良くなっている的なニュースが流れ、今回の核協議の話し合いも、具体策を詰める段階まで進んでおり、来年にも行ってみようという丁度良いタイミングでこの本が出版されました。

 

本はテヘランの状況と、イランのネット情報から始まりますが、何とフェイスブックツイッター、ユーチューブ等は接続できないらしいです(公式には)、しかし、ハメネイ師やロウハニ大統領などはツイッターをやっており、情報収集のためロウハニ大統領は自分も1年前くらいからフォローしています。

蔵前さんが知り合いになったイラン人によると、側近がやっていることになっていて、多くのイラン人がやっているように見逃されているのだそうです。

西洋化に反対する勢力に配慮して禁止はするけど、一般的な人に配慮して見逃すということみたいです。

 

さて、そして旅は始まるのですが、その旅を面白くするのが方々で現れる「親切なイラン人」です。

最初に登場するのは、ITの勉強をしている大学生で、バスのチケットを買おうとしていたら、旅行代理店で聞いてくれて、バスターミナルでしか買えないということが解ったら、バスターミナルまでタクシーで連れて行ってくれて料金まで払ってくれたということです。(帰りは素早く自分で払ったそうですが。)

そして、授業をさぼってまでも、観光のガイドをしてくれるというのです。

蔵前さんが、以前来た時にもバスのチケットを買うために一時間も二時間も奔走してくれる人、タクシーやバスに無料で乗せてくれた人もいたそうです。

 

そして旅は、パランガンという山の斜面に階段状にできたイラク国境に近い町、泥作りで円錐形をした奇妙な建物や伝統的な建築物のあるカーシャーン、泥でできた数百件の家が固まって奇妙な風景を形成しているザグロス山脈の村、遊牧民の村など日本のガイドブックには当然書いてないようなところを訪問します。

綺麗な写真も多く掲載されており、非常に旅行に行きたい気持ちを盛り上げてくれる本でした。

 

今年は無理ですが、来年はぜひイランへ行きたいと思っています。

これから旅行者が増えてきたら(もう増えているみたいですが)、「親切なイラン人」も減ってしまいそうなので、早く行きたいですね。