時間とお金の関係

 

IMFの世界経済見通しに、過去の世界の実質金利というものが載っていました。

 

1980年代 5.5%

1990年代 3.5%

2001~2008年 2%

2012年には若干ながらマイナス領域に入っている

 

これは、何を意味するのでしょうか?

お金を持っていても儲ける方法が無い。

→ 時間の価値が低下している?

 

先週あたりから、ナスダックのハイテク株がバブルの兆候があるという報道を見かけるようになりましたが、それを受けてか2014年4月10日の米国株式市場はハイテク株とバイオ関連銘柄が売られ、急落して終了しました。1日の下落率としては2011年11月9日以来最大となったようです。

 

次に進む方向は、果たしてこれでも時間を費やして、今使う以上のお金を稼ぎ続け、それを増やすことなのでしょうか。

ミヒャエル・エンデの「モモ」という作品の「時間どろぼう」を思い出します。

 

時間の使い方としては、将来の年金支給年齢の上昇の可能性などを考えると、フルタイムで働いてお金を稼ぐという考え方自体が変わる必要があると思っています。

経済的に見ると間違いなく時間の価値が低くなってきているので、経済活動至上主義に立つと人生の価値が減っていることになります。

この反動で働くこと以外に時間をもっと費やしたいという傾向はもっと強くなってくるでしょう。

 

政治や大企業の考え方は、保守的にならざるを得ず、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」のように、現在の政治体制や経済界は過去の成功体験を追随することしか出来ないでしょう。

 

これからの、ゼロ成長時代の主役は民間主導にならざるを得ません。

さらに、少子化や高齢化問題はプライベートにもっと時間を割かなくてはいけないと警鐘を鳴らしているようにも見えます。

高齢者施設や保育所が増えることが解決策なのでしょうか。

フルタイム+残業の正社員中心の柔軟性のない雇用形態の方を変える必要があるのではないでしょうか。

 

今は間違いなく価値の転換が起こっており、

お金 ≧ 時間 → お金 ≦ 時間

になりつつあります。

 

社会を変えたいという大望を持っている人や、こんな時代でもお金がもっと欲しい人、自分の優越性をお金で表現しなくてはいけない人、という特殊な人以外は長時間拘束されてまでも働きたいとは思わなくなり、所得の二極化は進んで行くでしょう。

 

しかし、成り行きに任せてはいけません。

低所得になるならなるで、意味のある低所得になって行かなくてはいけません。

 

大資本の低所得労働者に成り下がってしまったら、時間の価値を取り戻すことは出来ません。

かつての発展途上国の代わりに搾り取られる方になるだけです。

 

サービス業を中心とする小資本でも出来る業務は、どんどん起業を進めて地元居住の勤務時間を短くしたい人や、子育て・介護をしている人も働けるようにして、新しい価値観を作って行かなくてはいけないのです。

そして、地域で助け合うことによって、地元企業で消費する循環を作って行くのです。

モモ (岩波少年文庫(127))