労働と望むもの

前回は、インドに行ったお話をしましたが、その時に思ったことをがあります。


旅行中、外部から見て一番楽しそうで活気があるように見えたのは、少し客層が低い人が行くような、商店街のお店の人や買い物客達です。
生活は楽ではないでしょうが、非常に自由で楽しそうに見えます。

効率性などはおそらく考えていないでしょうが、売る人にとっても、買う人にとっても、買い物をするだけでは無く、そこでのコミュニケーションは、人生に必要なものなのでしょう。

 

そこで自分は、車があったり、家が持ち家でないと味わえない幸せ、高級品を買えないと無い幸せとは何なのかと考えてしまいました。

当然、自分もより良いものが欲しいし、高級品も欲しいですが、そのために何かを犠牲にしているのなら、そこまでそれが必要なのだろうか?

 

日本の正社員の雇用状況を見ると、休みは一律で年収は低くても休みを多くしたいというようなことは選べません。さらに残業や有給未消化なども多くの会社で企業文化として定着しています。

 この辺のところの考えを変えて、年収600万円の人二人でやっている仕事を、年収400万円の3人でやって「週休3日プラス有給30日」という考えかたも有るのではないでしょうか?

 

今、日本の会社は定年再雇用の人、派遣の人、時間短縮労働社員、等様々な人が働らくようになっています。

このような多様化の洗礼を受けて、企業が色々な働き方を許容するようになれば、週休3日で給料が安い会社や、年1回1か月の休暇あり、という会社も出てくるでしょう。

色々な働き方に関する書籍が出ているというのは、根本的に何のために働き、何のために生きるのか、と言うことを考え直す時期に来ているのかも知れません。

 

古い大企業は、一つの極の価値観として現在の状況が続くのでしょうが、新しい価値観も出てくるのではないでしょうか。

 

自分は、卒業旅行で南米に三週間行き海外旅行に目覚めたのですが、新卒で入った会社を辞めるまで約10年海外旅行には行けませんでした。

仕事が一番大事という価値観と、疲労と、お盆と年末年始にしか休めなかったのでチケットが取り難く高いことで、行こうと思うことさえ出来なかったのです。

 

人によって価値観は大きく違います。

インターネットの普及によってそれはさらに拡大してゆくでしょう。

働き方もそれに伴い変わってゆくのは必然でしょう。

現在の企業は、変われない古い人が支配する世界です。

新しい人が、新しい会社を作り、色々な価値観を許容する社会が出来てゆけば良いと思っています。